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札幌地方裁判所 昭和46年(行ウ)12号 判決

砂川市西三条北四丁目

原告 林貞晴

〈ほか五名〉

右六名訴訟代理人弁護士 彦坂敏尚

同 佐藤文彦

札幌市中央区北三条西六丁目

被告 北海道教育委員会

右代表者教育長 山本武

右訴訟代理人弁護士 山根喬

同 上口利男

同指定代理人 成田泰一

〈ほか六名〉

主文

被告が昭和四〇年一一月一二日原告林貞晴、同柴田有三、同藤原彪、同斉藤信義、同紙谷昭緒に対してなした戒告処分をいずれも取り消す。

原告中ノ目新治の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告林貞晴、同柴田有三、同藤原彪、同斉藤信義および同紙谷昭緒と被告との間で生じた分は被告の負担とし、原告中ノ目新治と被告との間で生じた分は原告中ノ目新治の負担とする。

事実

第一当事者の申立

(原告ら)

一  被告が昭和四〇年一一月一二日原告らに対してなした戒告処分をいずれも取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

(原告らの請求原因)

一(当事者)

原告らは昭和四〇年一一月一二日当時、北海道夕張南高等学校(以下夕張南高という。)に勤務する教諭であった。

被告は原告らの任命権者である。

二(懲戒処分)

被告は昭和四〇年一一月一二日、原告中ノ目を「減給一〇分の一・一ヵ月」(その後後記のとおり北海道人事委員会の裁決により「戒告」に修正された。)、その余の原告らを「戒告」にする旨の懲戒処分をした。右懲戒処分の理由は次のとおりである。

(一)  原告中ノ目について

1 原告中ノ目が昭和四〇年五月一日、四日および六日から八日までの五日間の年次有給休暇を請求したが、校長がこれを承認しなかったにもかかわらず職場を離脱した。

2 原告中ノ目が同年七月二〇日の年次有給休暇を請求したが、校長がこれを承認しなかったにもかかわらず職場を離脱した。

以上は地方公務員法(以下地公法という。)三二条および三五条に違反し、同法二九条一項一号および二号に該当する。

(二)  その余の原告らについて

その余の原告らが昭和四〇年四月二〇日の年次有給休暇を請求したが、校長がこれを承認しなかったにもかかわらず職場を離脱した。

右は地公法三二条および三五条に違反し、同法二九条一項一号および二号に該当する。

三(懲戒処分の違法事由)

(一)1  原告らはいずれも地方公務員であって、労働基準法(以下労基法という。)三九条の規定が適用され(地公法五八条三項)、かつ、北海道学校職員の勤務時間及び休暇等に関する条例(昭和二七年条例八〇号)により年次有給休暇を求める権利を有する。

2  原告らはいずれも右の年次有給休暇を請求したものであって、戒告処分を受ける理由は何もないから、本件懲戒処分はいずれも違法である。

(二)  原告中ノ目は北海道高等学校教職員組合(以下高教組という。)の、その余の原告らはいずれも北海道教職員組合(以下北教組という。)の組合員であったところ、原告らの年次有給休暇の請求に対する校長長尾之児の不承認は、原告らが右両組合の組合員であること、あるいは組合員として正当な活動をしていることが真の理由であって、地公法五六条に違反するものである。そして、本件懲戒処分は、いずれも同校長の組合敵視から生じた違法な不承認を支持し、被告の組合敵視の意思を実現するために行なわれた不利益処分であり、地公法五六条に違反する違法な処分である。

四(人事委員会の裁決)

原告らは本件懲戒処分について北海道人事委員会に対し不利益審査請求をしたが、同委員会は昭和四六年三月一九日、原告中ノ目に対する懲戒処分を「減給一〇分の一・一ヵ月」から「戒告」に修正したものの、その余の原告らに対する「戒告」の懲戒処分を承認する旨の裁決をした。

(請求原因に対する被告の認否)

一  請求原因一、二、四の事実は認める。

二(一)  同三(一)1の事実は認める。

(二)  同三(一)2の事実中、原告らが原告主張の日の年次有給休暇を請求したことは認めるが、その余は争う。

(三)  同三(二)は争う。

(被告の主張)

一  原告中ノ目を除くその余の原告らに対する懲戒事由について

(一) 原告中ノ目を除くその余の原告らが加盟していた北教組は、昭和四〇年四月二〇日午後一時から全組合員の三割に当る組合員を動員して、総評の春闘第三波統一行動に参加するとの方針をたて、北教組夕張支部においても右の方針に従い、夕張地区労働組合協議会が主催する集会に参加するという形で右四月二〇日の統一行動に参加することにした。

(二) ところで、地公法三七条一項所定の争議行為とは、行為の態様を問わず職員の団体によって行なわれるところの地方公共団体の業務の正常な運営を妨げる行為をいうのであって、業務の正常な運営を妨げる行為とは、地方公共団体が処理しなければならない業務の一部ないしは全部が平常どおり行なわれない場合ばかりでなく、地方公共団体の機関内部において、職制による命令が実現されていない場合をも包含するものである。そして、右の統一行動は、前述のとおり北教組の統制のもとに教職員が管理者の意思を排除して、勤務時間中に一斉に職場を離脱し、もって学校の正常な運営を阻害するものであるから、地公法三七条一項に規定する争議行為に該当することは明らかである。

(三) そもそも年次有給休暇制度は、一般の休日のほかに毎年所定の有給休暇を与えることによって、継続的な労働から生ずる労働者の肉体的精神的疲労を回復させ、労働力の維持、培養を図ることと合わせて、労働者が人たるに値いする社会的文化的生活を営むことができるようにするために、労働者に賃金を与えながら一定期間労働者を就労から開放しようとするものである。しかして、右の趣旨に照らして、休暇の日を何時に指定するかはまず労働者に指定権を与えるが、ただ、請求された日に有給休暇を与えることにより事業の正常な運営が妨げられる場合においては、他の時季にこれを与えることとして、使用者の利益との調和を図ったものである。以上のように、年次有給休暇は労働力の維持、培養と社会的文化的生活の保障という目的に奉仕するものであるから、労働者が年次有給休暇を争議行為その他使用者との対抗関係における闘争手段として用いることは、年次有給休暇制度の趣旨に反するものである。しかも、地方公務員は地公法三七条一項により争議行為が禁止されているのであるから、違法な争議行為を行なうことを目的とする年次有給休暇請求権は存在しないが、もし存在するとしても、そのような目的でする年次有給休暇の請求は権利の濫用というべきである。すなわち、かかる目的のためになされた年次有給休暇の請求はそもそも無効であって、外形上は請求の形式をそなえていても、労基法三九条三項所定の請求の効力を生じないものである。

(四) 非違行為

1 原告中ノ目を除くその余の原告らは、昭和四〇年四月一九日前記統一行動に参加する目的で、四月二〇日午後一時から半日の年次有給休暇を求める休暇願を同校教頭竹田勝雄に提出した。ところが、同日は長尾校長が不在であったため、同教頭は承認するかどうかの態度を保留し、翌二〇日朝出勤した同校長にこの件を報告した。

2 これに対し長尾校長は、同日朝の職員打ち合わせ会において、同日の統一行動に関し、服務の厳正を期するよう指示した昭和四〇年四月一五日付北海道教育委員会教育長通達および職員団体の指令による一斉休暇闘争は地公法三七条一項により禁止された争議行為に該当するものであるから、これに参加するためと思料される年次有給休暇は承認しないよう指示した同三九年二月三日付同教育長通達を竹田教頭に読み上げさせて、右原告らを含む全職員に対し右統一行動の違法性を周知させ、さらに右原告らの年次有給休暇の請求を不承認とし、同願出書を右原告らに返した。

3 しかるに右原告らは、右の休暇願が長尾校長により不承認とされたにもかかわらず、同日午後一斉に勤務場所を無断で離脱したものであり、右原告らの右の行為は明らかに地公法三二条および三五条に違反し、同法二九条一項一号および二号に該当する。したがって、原告中ノ目を除くその余の原告らに対する本件懲戒処分は適法かつ妥当なものである。

二  原告中ノ目に対する懲戒事由について

(一) 昭和四〇年五月一日、四日および六日から八日までの五日間の職場離脱について

1 原告中ノ目の非違行為

(1) 原告中ノ目は昭和四〇年四月二七日午前長尾校長に対し、五月四日から一一日までの年次有給休暇を請求する休暇願を提出した。これに対し同校長は、後記の理由により、五月一日から六日ころまでにしてもらいたい旨を述べて右願出書を同原告に返した。

(2) 翌四月二八日午前、同原告から再び長尾校長に対し休暇願が提出されたが、請求の期間が右(1)の期間と同様であったので、同校長は右(1)と同様の理由により右願出書を同原告に返した。

(3) 四月三〇日午前、同原告から竹田教頭に対し、五月一日から六日までの休暇願が提出された。これに対し、長尾校長は同教頭をして同原告に対し、六日は後記のとおり都合が悪いので五日までに変更してもらいたい旨を告げさせて右願出書を同原告に返した。

(4) ところが同日午後四時ころ、同原告は職員室にいた長尾校長に対し、五月一日から八日までの休暇願を提出して権利を行使する旨述べ、同校長がこの期間では承認できない旨申し渡したことに対して耳をかすことなくその場を立ち去り、右年次有給休暇の請求期間中(ただし、五月二日、三日および五日は日曜日ないしは祝日であった。)勤務場所を離脱したものである。

2 長尾校長が原告中ノ目の右年次有給休暇の請求を承認しなかった理由

(1) 長尾校長が原告中ノ目の五月四日から一一日までの年次有給休暇の請求に対し、五月一日から六日ころまでに変更するよう求めた理由は次のとおりである。

長尾校長は昭和四〇年度当初、同年度における夕張南高の教育方針として、年間学習指導計画に基づく計画授業の完全実施という目標を掲げて所属教職員に対し、その達成に努めるよう要請した。ところで、四月二七日に同原告が五月四日から一一日までの休暇願を提出した時点においては、同校長が全教員に提出を求めていた「年間学習指導計画」が同原告のみ未提出であったため、同原告の担当教科の学習指導が計画的に行なわれないおそれがあったこと、また、同原告が当該年次有給休暇を請求した時季は、学期はじめの授業が軌道にのり、しかもいわゆるゴールデンウイーク後の教育効果が最も期待される時期であったため、このような時期に六日間(右期間中の日曜日および祝日を除いた日数。)の長期にわたって休暇を認めることは、計画的な授業の実施により年間指導計画を完全に実施するという当該年度の教育方針の達成に支障があると認めたこと、さらに、同原告は夕張南高においては唯一人の物理担当教員であったため振替授業の確保が困難であったことなどから判断して、五月一日から六日ころまでに変更するよう求めたものである。

(2) 次に、四月三〇日原告中ノ目が五月一日から六日までの年次有給休暇を請求したのに対し、長尾校長がこれを承認しなかった理由は次のとおりである。

四月二八日正午ころ、長尾校長は被告から、同原告を含む教職員の服務上の問題に関する調査を五月六日に行なうことになった旨電話による通知を受けた。この調査は原告林、同柴田、同藤原、同斉藤、同紙谷の前記四月二〇日の職場離脱について、被告の関係職員が校長、教頭、定時制主事、事務長および前記統一行動に参加した教員ならびに参加のため休暇願を提出した教員から事情聴取をするためのものであった。原告中ノ目は右統一行動には参加しなかったが、参加のため休暇願を提出した教員の一人として面接調査の対象となっていたので、同校長は同日午後、教頭を介してこのことを同原告に通知した。右の調査はその性質上関係者全体の身分にも影響するものであり、調査の公平を図るためからも関係者が同一時期に調査を受ける必要があったので、同校長が同原告の当該年次有給休暇の請求に対して、五月一日から五日までとするか、あるいは他の時季に変更するよう指導したことは必要やむを得ない措置といわなければならない。

(二) 昭和四〇年七月二〇日の職場離脱について

1 原告中ノ目の非違行為

(1) 原告中ノ目は、昭和四〇年七月一六日竹田教頭を介して七月二〇日の年次有給休暇を請求する休暇願を長尾校長に提出した。これに対し同校長は、同教頭をして当日は後記の理由により支障があるので、同月二一日に変更してもらいたい旨を同原告に告げさせて、右願出書を返した。なお、この点に関する後記の原告の自白の撤回には異議がある。

(2) ところが同原告は、七月二〇日午前八時ころ再び右と同様の休暇願を長尾校長に提出し、同校長の右時季変更権の行使にもかかわらず、同日中勤務場所を離脱したものである。

2 長尾校長が原告中ノ目の年次有給休暇の請求を承認しなかった理由

原告が右休暇願を提出した七月一六日には、すでに同月二〇日からの期末試験の時間割が発表されており、それによると同原告担当の物理の試験は第一日目の二〇日に四クラスで予定されていた。ところで、当時同校においては、期末試験を行なう場合は、当該試験教科の担当教員に各教室を回らせて生徒の質問などに応答するという役割をもたせていた。いうまでもなく期末試験は重要な校務であり、これを円滑適正に遂行するために、生徒が安心して試験を受けることができるような態勢を講じることは学校としての当然の責務であり、特に同原告が担当している物理の教科は、他の教員において代替できないことなどから、同原告の右年次有給休暇の請求について、同校長が校務の正常な運営に支障があると認めて時季の変更を求めたことは、必要かつ極めて妥当な措置である。

(三) 以上のとおり原告中ノ目は、昭和四〇年五月一日、四日および六日ないし八日ならびに同年七月二〇日について同原告が請求した年次有給休暇が、長尾校長の承認を得られなかったことを充分認識しながら勤務場所を離脱したものであり、同原告の右の行為は明らかに地公法三二条および三五条に違反し、同法二九条一項一号および二号に該当する。したがって、原告中ノ目に対する本件懲戒処分は適法かつ妥当なものである。

(被告の主張に対する原告らの認否)

一(一)  被告の主張一(一)は認める。

(二)  同一(二)および(三)は争う。

年次有給休暇制度の目的は、労働者の心身の疲労を回復させ、労働力の維持培養を図るほか、労働者として「人たるに値する社会的文化的生活」を営むことができるように保障したものである。したがって、労働者は年次有給休暇をいかなる用途に使用するかは全く自由であって、労基法上は休暇の利用目的如何によって年次有給休暇が取れたり取れなかったりするものではない。また、使用者は請求された時季に休暇を認めることが「事業の正常な運営を妨げる場合」にその時季の変更を求める時季変更権があるのみであって、請求を認める認めないの承認権があるわけではない。この意味でこの請求権は請求権という言葉を使ってはいるが、その法律上の性質は形成権である。

(三)  同一(四)の1および2は認める。

(四)  同一(四)の3の事実中、昭和四〇年四月二〇日午後、原告中ノ目を除くその余の原告らが職場を離脱したことは認めるが、その余は争う。

被告は、本件統一行動は地公法三七条一項で禁止された争議行為であると主張するが、右統一行動は、単なる組合の団結活動である。当日の行動は「一律七、〇〇〇円賃上げ」「ILO八七号条約批准に伴う関係国内法の改悪反対」などを目標として、右原告らが所属する北教組が公務員共闘会議に参加して行なわれる統一行動であったが、右統一行動は各地区において行なわれる集会に参加して右の要求の正当性を確認し、その要求実現のために北教組をはじめ参加各組合の所属組合員とともに意思を統一し、相互に団結の強固さを確認するために開催されたものであり、それぞれの組合が使用者に対して打撃を与えるために行なう争議行為の目的は全く存しなかった。したがって、北教組であっても、他地区はもとより夕張地区の他学校においては、職務専念義務免除ないしは年次有給休暇により支障なく参加が行なわれているほか、他の組合においても参加することを使用者によって妨げられるような状況は全くなかったのである。また、参加の状態も北教組組合員中三割であることが指令され、業務の正常な運営が妨げられないよう配慮された。原告らの勤務する夕張南高においても、六〇名の全教員のうち、右原告ら五名が参加したにとどまり、しかも授業については支障がないよう他の教員による振替授業、またはプリントの配布などが配慮されたのであって、決して争議行為(同盟罷業)になるような事情はなかった。以上のとおり、本件統一行動は学校の正常な運営を阻害することを目的としてなされたものではないし、そのような状況になることなく実施されたものであって、これを目していかなる意味でも争議行為であったとすることはできない。

さらに、年次有給休暇をとることが団体活動に全くなじまないとする被告の主張は全くの謬見である。年次有給休暇の権利は労働者の権利なのであって、決して使用者によって恩恵的に与えられたものではない。

労働者は権利として年次有給休暇をとり、これによって得た時間的余裕を自由に使用することができ、得た時間をどのように使用するかは労働者の自由であって、使用者の容かいを許すものではない。実際においても企業内組合の多いわが国の状況にあって、労働組合の大会、中央委員会、執行委員会その他の集会に当って、組合員が年次有給休暇をとって参加するのは常態である。これは、わが国労使関係の慣行であり、それはまたよき慣行として社会的に是認されているのである。事業の正常な運営の妨げにならないにもかかわらず、専ら団体活動であることを理由に、ことさらにこれを個人的用務を理由とする年次有給休暇と差別するのは、組合活動に対する敵視であり、組合活動、団体活動を抑止しようとする明らかな不当労働行為であるとさえいわなければならない。年次有給休暇は、個人的用務を目的とするものであれ、組合の団体活動を目的とするものであれ、およそ差別ないしは区別することは許されないのであって、ただ事業の正常な運営に具体的な支障が生ずる場合に限り使用者による時季変更が許されるにすぎないものというべきである。

二(一)  同二(一)1の(1)の事実中、原告中ノ目が五月四日から一一日までの年次有給休暇を請求する休暇願を提出したこと、四月二七日に長尾校長が竹田教頭を介して五月一日から六日ころまでにしてもらいたい旨告げて右休暇願を同原告に返したことは認めるが、その余は否認する。同原告が右休暇願を提出したのは四月二六日であり、また、直接校長に提出したのではなく、教頭に提出したものである。

(二)  同二(一)1の(2)の事実中、同原告が翌二八日休暇願を提出したこと、右休暇願が右と同様の理由で返されたことは認めるが、その余は否認する。休暇願は同日午後一時三〇分ころ、期間を五月四日から八日までとして教頭に提出したものである。

(三)  同二(一)1の(3)の事実中、同原告が四月三〇日午前、教頭に五月一日から六日までの休暇願を提出したこと、教頭から右休暇願を返されたことは認めるが、その余は否認する。

(四)  同二(一)1の(4)の事実中、「同校長がこの期間では承認できない旨申し渡したことに対して耳をかすことなく」との部分を否認し、その余は認める。

(五)  同二(一)2の(1)の事実中、同校長が昭和四〇年度当初、同年度における夕張南高の教育方針として、年間学習指導計画に基づく計画授業の完全実施という目標を掲げて所属教職員に対し、その達成に努めるよう要請したこと、同原告が同校における唯一人の物理担当教員であったことは認めるが、その余は争う。

(六)  同二(一)2の(2)の事実中、原告中ノ目が四月二〇日の統一行動に参加のため休暇願を提出し、参加しなかったことは認めるが、その余は争う。

(七)  同二(二)1の(1)の事実中、二一日に変更してもらいたい旨を同原告に告げたとの点については、はじめ被告の主張を認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、その自白を撤回し、否認する。その余は認める。

(八)  同二(二)1の(2)の事実中、同校長が時季変更権を行使したことは否認し、その余は認める(なお、原告中ノ目は七月一九日にも同様の休暇願を提出したものである。)。

(九)  同二(二)の2の事実中、七月一六日には同月二〇日からの期末試験の時間割が発表されていたこと、それによると同原告担当の物理の試験が第一日目の二〇日に四クラスで予定されていたこと、当時同校においては、学期末試験を行なう場合は当該試験教科の担当教員に各教室を回らせて生徒の質問などに応答するという役割をもたせていたことは認めるが、その余は争う。

(十)  同二(三)は争う。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因一(当事者)、二(懲戒処分の存在)および四(北海道人事委員会の裁決)については当事者間に争いがない。

二  そこで、原告らに対する懲戒事由の存否について判断する。

(一)  原告中ノ目を除くその余の原告らについて

1  原告中ノ目を除くその余の原告らが、昭和四〇年四月一九日に、翌二〇日に行なわれる総評の春闘第三波統一行動の一環としての夕張地区労働者協議会主催の集会に参加する目的で、同日午後一時から半日の年次有給休暇を求める休暇願を竹田教頭に提出したこと、右一九日は長尾校長が不在であったため、同教頭は休暇を承認するかどうかの態度を留保し、翌二〇日朝同校長に休暇願の提出があった事実を報告したこと、これに対し、長尾校長が二〇日朝の打ち合わせ会において、同日の統一行動に関し被告主張の各通達を竹田教頭に読み上げさせて、右原告らを含む全職員に対し右統一行動の違法性を周知させ、さらに右原告らの年次有給休暇の請求を不承認とし、その願出書を右原告らに返したこと、右原告らが四月二〇日の午後から半日職場を離脱したことは当事者間に争いがない。

2  被告は、地方公務員は地公法三七条一項により争議行為が禁止されているのであるから、違法な争議行為を行なうことを目的とする年次有給休暇請求権は存在しないが、たとえ存在するとしてもそれを請求することは権利の濫用として労基法三九条三項所定の請求の効力を生じないと主張する。

そこで判断するに、そもそも労基法三九条にいう年次有給休暇とは、同一使用者のもとで相当期間継続して勤務し、前年度に相当量の労務を提供し、同条一、二項の要件を充足した労働者に対して法律上当然に付与される有給の休暇であり、それは労働者の当然の権利であって、使用者はこれを与える義務を負うべきものである。したがって、労働者が法律上当然に付与された休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期とを特定してその時季を指定したときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつ、使用者がそれを理由として時季変更権の行使をしない限り、右の指定によって当該労働日における年次有給休暇が成立し、その就労義務が消滅するに至るのである。つまり、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであって、労働者による「休暇の請求」や使用者による「承認」の観念を容れる余地はないものといわなければならない。かようにして、年次有給休暇の権利が法律上当然に発生する権利である以上、その利用目的は労基法の全く関知しないところであり、休暇をどのように使用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由であるというのが法の趣旨であると解すべきである(最高裁判所昭和四一年(オ)第八四八号、同四八年三月二日第二小法廷判決、最高裁判所民事判例集二七巻二号一九一頁。同裁判所同四一年(オ)第一、四二〇号、同四八年三月二日同小法廷判決、同判例集二七巻二号二一〇頁各参照)。そうすると、原告中ノ目を除くその余の原告らが前記集会に参加することが争議行為に当るかどうかに言及するまでもなく、被告の前記主張は失当といわざるを得ない。

もっとも、労働者による年次有給休暇の時季指定の効果は、前説示のように使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として生じるのであるから、使用者の適法な時季変更権の行使を不可能または著しく困難にするような形での時季指定、たとえば同一事業場における労働者が意思を通じて全員一斉に同一時季を指定した場合またはこれと同視すべき場合には、権利の濫用として時季指定の効果を生じないものと解すべきである。けだし、右のような場合には、使用者において当該時季に代替要員を確保したり、労働者の配置を変更したりなどして事業の正常な運営を確保すべき手だてを講じたうえ、時季変更権を行使するなどということは不可能または著しく困難であって、使用者をこのような状態に陥れた場合にまでなお、適法な時季変更権を行使しない限り当該時季の年次有給休暇が成立すると解すべき理由はないからである。これを本件についてみるに、≪証拠省略≫によると、昭和四〇年四月一九日に原告中ノ目を含む原告ら六名のほかに、三瓶某、蓮川某、山本某の三名(いずれも夕張南高教諭)が右六名と同じく四月二〇日午後半日の年次有給休暇を請求したことが認められるところ、当時夕張南高の全教員は六〇名であったことが弁論の全趣旨によって認められるから、これを右基準に照らして考えるときは、本件年次有給休暇の請求権が存在しないとか、権利の濫用であるとは到底いえず、したがってこの点からみても被告の前記主張は失当というのほかない。

そうすると、前記原告らの年次有給休暇の請求は長尾校長の適法な時季変更権の行使がない限り、当該時季における年次有給休暇が成立することとなるわけである。そして、長尾校長が四月二〇日午前中に原告中ノ目を除くその余の原告ら五名の年次有給休暇を不承認としたことについては前記のとおり当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、原告中ノ目、三瓶、蓮川および山本の各年次有給休暇の請求も同じく不承認となったことが認められるところ、右の不承認は要するに時季変更権の行使と解される。

3  そこで進んで、事業の正常な運営を妨げる事情の存否について判断する。

まず、労基法三九条三項にいう「事業の正常な運営を妨げる」とは、企業またはその一部としての事業場において、ある特定の業務の正常な運営が一体として阻害されることをいうのである。そもそも労働者は日常企業またはその一部としての事業場において、特定の業務を担当しているのであるから、その労働者が休暇をとることによって必然的にその業務が欠けることになるわけであるが、労基法上の年次有給休暇の権利は、労働者が休暇をとることによって企業運営にある程度の支障を生じることを容認したうえで、それでもなお使用者にその付与義務を課したものと解するのが相当であって、このことは年次有給休暇の権利が憲法二七条二項の休息権に由来するものであることから当然に導き出される結論であるといわなければならない。したがって、事業の正常な運営が妨げられるかどうかは、一般的には、客観的にその企業の規模、事業内容、年次有給休暇を請求した者の配置、担当業務の内容、性質、業務の繁閑のほか、時季を同じくして請求した者の人数など諸般の事情を合わせ考慮したうえで合理的に決定すべきものである。

これを本件についてみるに、前記のいわゆる事業場と目される夕張南高は、生徒に対して高等普通教育および専門教育を施すことを目的とする施設であり、四月二〇日午後半日の年次有給休暇を請求した前記九名はいずれも同校教諭であって、教育公務員特例法二条にいう教員である。そして、高等学校の教員は特定の教科に関して授業を行ない、生徒の教育に従事する業務を担当するものであるところ、その担当教科はそれぞれの教員によって異なるものであり、あるいは同一教科であっても担当する学年、学科が異なると考えられるのであるから、右各教員の担当する業務はそれぞれ別異のものという特異性がある。そうであるとすると、同一時季に年次有給休暇の請求をした者が九名であったということは特に考慮すべきではないし、たとえ考慮すべきであるとしても、全教員六〇名のうち九名がわずか午後半日の勤務を欠いたからといって、直ちに事業の正常な運営を妨げる場合に当るということはできない。結果的にも、当日の午後半日の勤務を欠いた教員は、年次有給休暇の請求をした前記九名のうち原告中ノ目を除くその余の原告ら五名のみであって(この点は当事者間に争いがない。)、しかも右五名が当日の午後担当すべき授業は各一時限分に過ぎなかったことが≪証拠省略≫によって認められるのである。したがって、右原告らが四月二〇日午後半日の年次有給休暇をとることによって、夕張南高の事業の正常な運営を妨げる事情があったということは到底できないから、長尾校長が右事情の存在することを理由としてなした時季変更権の行使は不適法であって、その効力を生じないものというべく、右原告らの年次有給休暇は有効に成立し、その就労義務は消滅していたものといわなければならない。

そうすると、右原告らが四月二〇日午後一時から半日職場を離脱した行為は地公法三二条および三五条に違反するものではなく、したがって右各条項に違反し、同法二九条一項一号および二号に該当することを理由として右原告らに対してした本件懲戒処分はその前提を欠く違法なものといわざるを得ないから、いずれも取消を免れない。

(二)  原告中ノ目について

1  昭和四〇年五月一日、四日および六日から八日までの職場離脱について

(1) ≪証拠省略≫を総合すると次のような事実が認められる。すなわち、(イ)原告中ノ目は昭和四〇年四月二六日長尾校長に対し、同年五月四日から一一日までの年次有給休暇を求める休暇願および私事旅行願を提出したが、これに対して同校長は翌四月二七日竹田教頭を介して、同原告が請求した時季は年度はじめで授業も軌道に乗ったばかりであるのに長時間授業が欠けるのは好ましくないこと、代替教員がいないことなどを理由に、同原告に対し五月一日から六日までにして欲しい旨告げて右休暇願および私事旅行願を返したこと、(ロ)そこで同原告は、同校長の右の意向を考慮して翌四月二八日年次有給休暇の期間を五月四日から八日までとする休暇願および私事旅行願を提出したが、同校長は前同様の理由で同じく五月一日から六日までにして欲しい旨告げて右の休暇願および私事旅行願を同原告に返したこと、(ハ)次いで同原告は四月三〇日に至り、まず午前八時四〇分ころ、年次有給休暇の期間を同校長の指示どおり五月一日から六日までとする休暇願および私事旅行願を竹田教頭を介して同校長に提出したが、同校長は同教頭を介して、五月六日は公務に関することで是非同原告にいてもらいたいことがあるので五月一日から五日までにして欲しい旨伝えて右の休暇願および私事旅行願を返したところ、同原告はこれに納得せず、さらに午後三時三〇分ころ、同校長に対し直接、年次有給休暇の期間を五月一日から八日までとする休暇願および私事旅行願を提出したうえ、これに対する同校長の「承認できない」との返事に耳をかすことなく直ちに退出したこと、以上の事実が認められ(ただし、原告中ノ目が五月四日から一一日までの休暇願を提出したところ、これに対し長尾校長が五月一日から六日ころまでにして欲しい旨告げてこれを同原告に返したこと、同原告が四月二八日に二回目の休暇願を提出したところ、一回目と同様の理由で返されたこと、同原告が四月三〇日午前五月一日から六日までの休暇願を提出したところ、竹田教頭からこれを返されたこと、および同日午後同原告が同校長に対し五月一日から八日までの休暇願を提出したことについてはいずれも当事者間に争いがない。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、原告中ノ目が五月一日、四日、六日から八日までの五日間職場を離脱したことについては当事者間に争いがない。

(2) 右認定の事実によって考えると、原告中ノ目の第一ないし第三回目の各年次有給休暇の請求はそれぞれ次回の各請求によって撤回され、時季指定の効果も消滅したものと解すべきであるから、結局、本件においては四月三〇日午後の第四回目の請求についてのみ時季変更権の存否を判断すれば足りるものである。ところで、同原告の四月三〇日午後の年次有給休暇の請求に対して、長尾校長は「承認できない」とは言ったものの、他の時季に変更する暇を与えられなかったのであるが、前認定の経緯に照らして考えると、結局、同日午前の請求に対してしたのと同様に五月一日から五日までの期間に変更すべき旨の時季変更権の行使があった場合と同視して差し支えない。

(3) そこで、原告中ノ目の四月三〇日午後の第四回目の年次有給休暇の請求について事業の正常な運営を妨げる事情の存否を判断する(なお、被告が原告中ノ目の第一ないし第三回目の各年次有給休暇の請求を長尾校長において承認しなかった理由として主張するところは、前記(2)において認定した経緯に照らして考える限り、第四回目のそれについても維持するものと解されるから、以下右主張を前提として論を進めることとする。)。

まず、被告は、原告中ノ目のみが長尾校長において全教員に提出を求めていた指導計画表(教科年間指導計画表)を提出しないため、同原告担当教科の学習指導が計画的に行なわれないおそれがあったと主張する。長尾校長が昭和四〇年度当初、同年度における夕張南高の教育方針として、指導計画表に基づく計画授業の完全実施という目標を掲げて、所属教職員に対しその達成に努めるよう要請したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、昭和四〇年四月七日の職員会議において、教務課長太田昌光は長尾校長の意を体し同年度の指導計画表を同月一七日までに提出するよう全教員に指示し、右期限は後に四月二四日に変更され、同日までに原告中ノ目を除く全員が指導計画表を提出したものの、ひとり同原告のみ未提出であったことが認められる。そこで、原告中ノ目の指導計画表の提出時期について検討するに、≪証拠省略≫によると、一般に指導計画表は各教員から教科主任、教務課長および教頭を順次経由して校長に提出され、それぞれ押印を受けた後、右と逆の経路で各教員に返され、その後毎月第一月曜日には前月分の実施状況を記載したうえで右と同じ経路で校長に提出されることになっていたこと、そして≪証拠省略≫には、その上部に右から左へ順に教科主任、教務課長、教頭、校長の押印欄があり、それぞれ印影があるから、右印影はいずれも右指導計画表が提出されたときに押捺され、また、五月第一週の実施状況の欄には太田教科主任(教務課長)および竹田教頭の印影があるところ、右各印影は四月分の計画修了後、五月上旬ころ提出された際に押捺され、さらに、上欄に押捺された竹田教頭の印影と、五月第一週の実施状況欄に押捺された同教頭の印影とは明らかに異なるものであるから、右二つの印影はそれぞれ別の機会に押捺されたことがそれぞれ認められ、右の事実に、≪証拠省略≫を合わせ検討すると、原告中ノ目の指導計画表は四月二七日に太田教科主任(教務課長)に提出されたものと認めるのが相当である。前記太田証人の証言中右指導計画表が太田教科主任(教務課長)の手元に提出されたのは五月一〇日ころで、これを同月二〇日ころ長尾校長に提出した旨の供述部分は到底措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、原告中ノ目が四月三〇日午後に年次有給休暇を請求した時点ではすでに同原告の指導計画表が提出されていたこととなるから、被告の前記主張はその前提を欠くものというべきである。

次に、被告は、原告中ノ目が年次有給休暇を請求した時季は学期はじめの教育効果が最も期待される時期であったため、休暇を認めることにより年間指導計画を完全に実施するという当該年度の教育方針の達成に支障が生じるおそれがあったと主張する。しかし、原告中ノ目の請求した時季が他の時季に比してより多くの教育効果が期待できるとの主張は客観性に乏しく、かえって年度当初であるだけに計画達成に及ぼす影響はむしろ少ないとさえいえるのみならず、≪証拠省略≫によると、五月一日から八日までの間の同原告の担当する授業は二年A組、B組、D組が各三時限、C組が二時限、三年B組、D組が各二時限にすぎなかったことが認められるのであるから、この点に関する被告の前記主張も理由がないというべきである。なお、被告は、原告中ノ目が夕張南高唯一人の物理担当教員であったため、振替授業の確保が困難であったとも主張するけれども、これを強調すると、同原告は常に年次有給休暇をとることができなくなるおそれが生じるのであるから、他に特段の事情の認めがたい本件においては、到底採用することができない。

さらに、被告は、五月六日には前記四月二〇日の統一行動に関して教職員の服務についての調査が行なわれる予定であって、原告中ノ目もその対象者の一人であったと主張する。≪証拠省略≫によると、四月二八日午後被告から長尾校長に対し、五月六日に、四月二〇日の統一行動に関して職場を離脱した教員および右統一行動に参加するために年次有給休暇を請求した教員について調査をする旨の電話連絡があり、同原告もその対象者であったことが認められる。しかし、右の調査は夕張南高の本来の業務とはいえないばかりか、前認定のように同原告は右の統一行動には参加しなかったのであるから、同原告に対する調査自体の必要性はともかく、同原告が当日必ず在校し参加教員と同一機会に調査を受ける必要性は乏しかったものと考えざるを得ないし、現に、同原告も含め統一行動に参加しなかった者については調査が行なわれなかったことが≪証拠省略≫により認められるのである。被告の右主張もまた理由がない。

したがって、原告中ノ目が前記期間の年次有給休暇をとることによって、夕張南高の事業の正常な運営を妨げる事情があったということは到底できない。

(4) 以上のとおりであるから、長尾校長の時季変更権の行使は不適法であってその効力を生じるによしなく、原告中ノ目が四月三〇日午後に五月一日、四日および六日から八日までの五日間の年次有給休暇を求める休暇願を提出したことにより、右期間の年次有給休暇は有効に成立し、その就労義務は消滅していたものといわなければならない。したがって、同原告が右の五日間職場を離脱した行為は地公法三二条および三五条に違反するものではない。

2  昭和四〇年七月二〇日の職場離脱について

(1) 原告中ノ目が昭和四〇年七月一六日竹田教頭を介して、七月二〇日の年次有給休暇を請求する休暇願を長尾校長に提出したことは当事者間に争いがない。そして、同原告は当初右休暇願に対し同校長が同教頭を介して「二一日に変更してもらいたい」旨告げたことを自白し、その後これを撤回したのであるが、右自白が真実に反するものであることを認めるに足りる証拠はなく、かえって右事実は長尾証人の証言によってこれを認定することができるので、右自白が真実に反する場合に当らないというべきであるから、同原告の右自白の撤回は許されず、結局、同校長が「二一日に変更してもらいたい」と伝えたことは当事者間に争いがないこととなる。さらに、七月二〇日の午前八時ころ、原告中ノ目が再び右と同様の休暇願を提出したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、これに対し長尾校長が「承認できないよ、今まで話したとおりだ。」と言ったことが認められるところ、右の発言は要するに時季変更権の行使ということができる(なお、原告中ノ目は中間の七月一九日にも前同様の休暇願を提出した旨主張するが、要は時季変更権の存否に尽きるので、この点については敢えて判断しない。)。そして、原告中ノ目が七月二〇日に職場を離脱したことは当事者間に争いがない。

(2) そこで、事業の正常な運営を妨げる事情の存否について判断する。

原告中ノ目が最初に年次有給休暇を請求した七月一六日にはすでに同月二〇日からの期末試験の時間割りが発表されており、しかも同原告担当の物理の試験が第一日目の二〇日に四クラスで予定されていたこと、および当時夕張南高において期末試験を行なう場合には、当該試験教科の担当教員に各教室を回らせて生徒の質問などに応答するという役割をもたせていたことは当事者間に争いがないところである。そもそも、期末試験は、授業の進度自体に直接の影響がないとはいえ、当該学期における授業の成果を見ることにより次学期以降の指導計画に資するなど学校にとり極めて重要な業務であって、その重要さにおいて中間試験の比ではなく、また、生徒にとっても重要なものであることはいうまでもない。それゆえ、試験中にその担当教員が在校することは、試験に伴いがちな生徒のある種の不安感を融和し、ひいてはそれが師弟間の心の触れ合いともなるという教育の重要な効果を生む結果になるのであって、これを決して過小評価すべきではないのである。このことは、前記のとおり夕張南高において試験当日には担当教員が各教室を回って生徒の質疑に応じる習わしであったことと正に符合するものということができ、まして原告中ノ目は唯一人の物理担当教員であったのであるから、同原告が在校することは同校の業務である期末試験を円滑に行なうために是非必要なことであったといわざるを得ない。したがって、七月二〇日に原告中ノ目に対し年次有給休暇を与えることは同校における事業の正常な運営を妨げる場合に当り、同原告の年次有給休暇の請求は、長尾校長の適法な時季変更権の行使により、その効力を失うこととなるから、同原告には七月二〇日の就労義務があったものといわなければならない。

そうすると、原告中ノ目が七月二〇日職場を離脱した行為は地公法三二条および三五条に違反し、同法二九条一項一号および二号に該当する。

三  ところで、原告中ノ目は、同原告が昭和四〇年七月二〇日に職場を離脱したことを理由としてなされた本件懲戒処分は被告の組合敵視の意思を実現するために行なわれた不利益処分であり、地公法五六条に違反すると主張する。しかし、成立に争いがない甲第二一号証の供述記載中右主張事実に沿うかの部分は、同号証によって窺われるところの昭和四〇年七月二〇日の休暇願の理由が「本部指示による組合業務」であったことを考慮に入れてもなお、直ちに措信することはできず、他にこれを肯認するに足りる確たる証拠はなく、かえって前記長尾証人の証言および本件に顕れた弁論の全趣旨によるとそのような事実のなかったことが認められるのみならず、本件懲戒処分が地公法二九条一項一号および二号所定の懲戒事由に該当することを理由としてなされたものであること前認定のとおりである以上、地公法五六条に規定する不利益処分ということは到底できない。同原告の右主張は理由がない。

四  以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告中ノ目を除くその余の原告らの請求はいずれも理由があるから認容し、原告中ノ目の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石嘉孝 裁判官大田黒昔生、同渡邊等はいずれも転任につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 白石嘉孝)

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